CEO Interview

経営者インタビュー

丸栄自動車株式会社

北野裕輔さん

企業情報

丸栄自動車株式会社

丹波市の真ん中、氷上町市辺に本社を構え、神戸と福井にも支店を持ち、ボルボ・トラックを中心に丹波市から全国へと活躍されている企業があります。株式会社になって50年目に突入し、これから更なる仕掛け時を迎える、丸栄自動車株式会社に取材に行ってきました。

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◆ボルボ正規ディーラーとして日本海から瀬戸内海までの物流をカバー

◆高い要望に応え続けた結果迎えた転換期

◆自ら機会を創り出し、グローバルな舞台で活躍を目指す人材を募集

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今回は、代表取締役社長の北野裕輔さんにお話を伺ってきました。

ボルボ・トラック正規ディーラーとして日本海から瀬戸内海までの物流をカバー

丸栄自動車株式会社の事業概要を教えてください。

トラックの販売、整備が主な事業になります。本社が丹波市で、神戸と敦賀に支店があり日本列島を縦に結ぶラインをカバーしています。

お客様は法人ユーザーが8割程で、主に運送会社ですね。

弊社が取り扱うトラックはメインでボルボ・トラックを取り扱いしてまして、その商圏がすごい広いんですね。

兵庫県全域、京都、大阪、滋賀、福井、石川、名古屋も一部、あと九州、逆に北海道と。

この界隈の物流の要となる「中国自動車道」「山陽自動車道」「舞鶴若狭自動車道」「北陸自動車道」に最もアクセスしやすい箇所に拠点を構えて、定期的なメンテナンスや、万が一のトラブルの際に立ち寄りやすく、スピーディな対応が可能な体制を整えています。

当初から自動車販売と整備はセットだったんですか?

一番最初は創業者である祖父のスクラップ屋から始まったんです。

ちょっとしたエピソードがあるんですが、ある日、祖父がスクラップ仕事の後にドロドロの恰好のまま中学校に娘を迎えにいったら、全然知らん人のように無視されたそうなんです。

そんなことがきっかけで、当時タクシーとして使い終わったクラウンの乗用車をいっぱい買ってきて、田舎に並べてるとそれが飛ぶように売れた、というのが今に繋がる始まりだそうです。

それからずっと販売を続けていて、それで販売した車が故障することもあり、「やっぱり整備もできなあかん」ということで整備工場も作ったという流れです。

株式会社としての創業は1973年で、今年で50年目となります。

丹波市は自動車関連の事業者が多いので、競合との兼ね合いが大変そうです。

そうですね。丹波市には120社ほどあって、その中で生き残り戦略と言えば大袈裟かもですが、2代目の父の代で大型トラックへ集中するようシフトしたんです。

大型となれば3社だけなんですね。

元々は乗用車ばかりでたまにトラック、といった具合だったんですが、自分たちで競合とのすみ分けをしていった感じですね。

なるほど。その中でさらにボルボ・トラックに特化したのはいつからですか?

正式に旧日本ボルボ(株)とディーラー契約をしたのは1999年からになります。

以前日産ディーゼルという会社があって、弊社ではそこの商品を取り扱っていたんですね。

日産ディーゼルでお勤めされていた方が会社を辞められて、日本ボルボ(株)を立ち上げようというタイミングで『一緒にボルボのトラック販売をやっていきたい企業はいませんか?』ということで、弊社にお声を掛けていただいたというのがきっかけになります。

トラックの車種は三菱ふそう・日野・いすゞ等、各社そんなに大きく変わりはないという中で、「何か強みになるものを取り扱えないか?」と考えていたところもあり、当初は半信半疑でしたが、先代からボルボ・トラックを取り扱うようになりました。

ボルボの正規ディーラーって全国にどれくらいあるんでしょう?

弊社と同じプライベートディーラーは全国に12社しかなく、兵庫県と福井県で販売しているのは弊社だけです。

他にもボルボを販売している先は全国で200社以上あるんですが、販売台数でいうとプライベートディーラーが倍くらい取り扱っているといった具合です。

三拠点とも同じ機能を持ち合わせているんですか?

基本的にはそうです。福井には営業がいないので、本社の営業がいったりします。

営業はエリア営業ではなく、担当営業制をとっていますので、神戸の営業が福井のお客様を担当したりします。

一見非効率なやり方かもしれませんが、それが一番お客様の印象に合うんですよね。

神戸と福井はどういう流れで設けることになったんですか?

ボルボはトラックがずっと主力商品なんですが、当時そのユーザーが丹波市にいなさすぎて。ほとんどが神戸と福井だったんです。

『これ、なんでやろう?』って思ってたら、港だったんですね。

福井のユーザーは、北海道からフェリーで送られてきたトレーラーをくっつけて神戸方面や名古屋方面にいったりすることが多くて、また神戸のユーザーも、神戸に着いたトレーラーをくっつけて福井方面いったり全国に向けてというのが多くて。

要は、「トレーラー市場のところに営業・整備拠点を置いた方が売れるんじゃないか」っていう発想からです。

それが結果的に当たって、北海道のユーザーが結構うちに来てくれたりしてます。

日本海と瀬戸内海、その中間に本社がある、というのは意外と理に適っているんです。

なるほど、とっても合理的な結果だったんですね。

高い要望に応え続けた結果迎えた転換期

北野社長はいつから働いてるんですか?

2007年からですね。篠山産業高校卒業後、大阪学院大学の経営科学部に行って、卒業後すぐ帰って働き始めました。

入社2年目くらいに結婚したんですが、当初は結婚式の準備とか運行管理者の資格とりにいったりとかでバタバタでしたね。

元々家業を継ぐことは決まってたんですか?

特に決まってなかったですね。継げとも一切言われてなかったですし。

でも、なんとなく一人っ子というのもあって「自分が継いでやっていかなあかんのかな」っていう気持ちはありましたね。

僕は昔から車好きで、お金がなかった時代も缶スプレー買ってきて色塗って、DIY的なカスタムしたり。

単純に、車以外にやりたいことがなかったんです。

働き始めた当初はどんな仕事してたんですか?

最初は整備もやるつもりでいたんですが、先代から『整備はなんぼでもできるやつはおるから車売ってこい』って言われて、当初から今に至るまでずっと営業ですね。

右も左もよくわかってないまま、担当変わって『商談いってこい』といかされて。最初はよく怒られましたね。

取引先に値引きさせられたりもしましたが、注文書取りに行く際に先代の息子ということがわかって『もうちょっとのせてこいよ』って言ってもらったりと、やりやすくさせてもらってたと思います。

昔は「外車は壊れやすい」ってよく耳にしてたので、営業ってこれまで大変だったんじゃないかと想像しますが。

それは本当ですね。10数年程前まではしょっちゅう壊れてましたよ。

納車したその一発目でエンジンが潰れたりとか、嘘みたいな本当の話なんですけど。

ボルボのプライベートディーラーは以前70社程あったんですが、それで嫌になってやめたところもあります。

それこそリーマンショックの時は全然売れなくて、新車が年間3台くらいしか売れなかった時期がありました。

販売不振で切られかけたこともありましたが、日本ボルボの日本人スタッフが支えてくれて、なんとか形に出来て今に至るといった感じです。

ボルボ・トラックを取り扱い始めた当初から、丹波市内からも結構問い合わせがあったんですが、先ほどの話で故障が頻繁にあったのであまり積極的に販売してこなかったんですね。

『もっと成熟してからにしましょう』と言って。

最近はもうどこにも胸を張って売れるトラックになったので、丹波市内でも少しずつ販売させてもらって、市内でもよく見かけるようになってきましたね。

他のトラックと比べた時、ボルボの良さはどういうところにありますか?

乗り心地が全く違いますね。一度乗ってしまうと国産車に戻れなくなるという人がほとんどです。

他にも登坂車線に負けない力強さや安全性、視野の高さ等、様々な面で快適になっています。ボルボに乗って腰痛が治ったなんて人もいるくらいです。

ボルボ・トラックは世界の中でも日本での販売率が高いんですよ。近年では働き方改革の一環で、勤務環境改善としても増えています。

トラックの運転手は基本的に車好きなので、ボルボ・トラックに乗れるというだけで人が集まったりします。

たまに運送会社の社員さんからSNSで『うちの会社に営業きて社長を説得してください』と言われたりもしますね(笑)

そんなことあるんですね(笑)故障の話もあって、やっぱり中古より新車がよく出るんですか?

これまでは圧倒的に新車の方が多いですね。最近のはそうでもないんですが、昔は故障が多かったのもありますし、新車の方は保証がしっかりしてるんですね。

経費で落とせるという理由でリースを選ばれることも多く、大体5年で乗り換えされます。

新車でも中古でも、トラックは荷物を運ぶのが仕事で、有事の際に損害賠償等の責任問題になったりします。

なのであちこちのサービスディーラーと提携して、どこで何があってもメンテナンス対応できるような体制づくりを心掛けています。

最近ではトラックの鈑金塗装も、お客様の要望も高くなってきて、ほぼ乗用車と同様の仕上がりを求められることも増えてきました。

要望が高い分、応える技術が必要になりますので、求められた分、人も会社も伸びてきたように感じています。

ようやく中古車の品質が安定してきたので、そろそろ機が熟したかなという感覚ですね。

自ら機会を創り出し、グローバルな舞台で活躍を目指す人材を募集

丸栄自動車株式会社のこれからの展望はどのようにお考えですか?

先ほどの話で、ようやく中古車の質が上がってきたので、これからは中古車販売も全国に向けてもっとやっていきたいですね。

これまではボルボ・トラックを買いたいという人が、ネットで探してたら弊社のホームページが引っかかって、それからトラック買われるのが多いんですね。

そうではなく、すでに国産車でのお取引があって、そこから『丸栄がボルボ・トラック扱ってるんならボルボ買うわ』って言ってくれる先を増やしたいですね。

今何名働いてるんでしょう?

全体では役員を除いて41名です。営業が4人で、整備が26人、その他は事務員になります。

ちなみに平均年齢はだいたい43歳くらいですね。

今後入ってくる人はどんな人がいいですか?

根が真面目で、愛されキャラがいいですね。条件は特にないので、トラックの免許等はおいおいとってもらったらいいし。

弊社は基本的に“来るもの拒まず”なので、高卒の人もいれば中途採用の人もいたりと、入社経緯は色々です。

車が好きで、専門卒ならいうことないですね。

従業員を育てる上で大事にしていることはありますか?

誰に対しても一人の人として接するようにしています。命令口調でもなく、上から目線にならないように。

どんな意見も一旦受け入れるようにしています。

自分で仕事も環境もつくれる会社にしていきたいので、柔軟な発想がしやすいようにと心がけています。

なるほど。あと環境面で、働きやすいようにしていることはありますか?

今年から休日を増やすことにしたんですよ。

直近で採用したいと思っていた人材がいたんですが、比較検討されていたもう一社の方が「休日が多いから」という理由でダメになって。

長い目で見た時に、この状況はあまりよくないなと思ったきっかけでした。

土曜の休みを増やすんですが、本社は第3土曜日、福井は第1、神戸は第4と拠点ごとにずらすことで、お客様の急を要するトラブルがあってもどこかで対応できるようにしようと。

従業員にはプライベートも充実してもらって、勤務時間が短くなる分、より効率を考えて勤務してもらう予定です。

最後に一言お願いします。

整備では神戸空港の消防車両をメンテナンスしていたりと、普通の車屋では触ることもない車を扱ったり、ボルボ・トラックの整備士の大会というのがあります。

日本国内大会、アジア大会、世界大会までありますので、目指そうと思えば世界も狙うことが出来ます。

営業に関しても、年に2、3回東京で全国の営業職が集まって勉強会をしたり、ボルボのプレミアユーザーと世界を周るツアーがあったりします。

以前僕もそれでスウェーデンに行きました。

この田舎でもグローバルな舞台で勝負できる環境がありますので、一緒に切磋琢磨していきたいと思えた方は是非おこしください。

ありがとうございました!

 

 

 

自動車関係の企業が多い丹波市で、商用大型トラックを中心に販売をすることで企業として強みをお持ちの丸栄自動車株式会社。丹波市から世界へと挑戦ができるという企業はとても希少だなと感じました。自身の成長が会社の成長に繋がる、そんな環境に興味がある方は是非お問い合わせください。

※この記事は2022年12月21日に取材した情報をもとに作成いたしました。

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