CEO Interview

経営者インタビュー

AUTOBODY若林

若林貴矢さん

企業情報

AUTOBODY若林

丹波市はとても広く、自動車がないと生活しにくいエリアなだけに、ほとんどの人が毎日車に乗っています。車が走っている限りなくならないのが車の整備や鈑金、塗装といったお仕事。

丹波市の南側、山南町に約3年前から始まった鈑金塗装屋があります。その確かな技術で評判なAUTOBODY若林さんを取材してきました。

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◆自分の技術を磨き続けた先に見えてきた、独立という選択肢

◆立場が変わったからこそ得られた確かな手ごたえ~事業の指針~

◆小さい事業規模だからこその強みを活かした、信頼される町の鈑金塗装屋に

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AUTOBODY若林代表の、若林貴矢さん。

自分の技術を磨き続けた先に見えてきた、独立という選択肢

まず、AUTOBODY若林の事業内容を教えてください。

主には自動車鈑金と塗装ですね。あとは整備や自動車販売もやったりします。 2018年の2月に開業したので、丸3年たったとこですね。

ちなみに若林さんはいつから自動車関係に興味あったんですか?

最初は原チャでしたね。高校の時に原付とって、自分でいろいろ触り始めて、連れのも触るようになって、それから中免もとって。なので興味はバイクからですかね。

元々トラックとかも好きでしたけどね、デコトラとか。まあ、でも現実の仕事として見るとバイクはさすがに無理やいう感じで。
仕事としたら自動車整備の資格取ったらバイクも触れるんで、とりあえず大きいの取ろうと思って。

だから高校の二年生やったかな、先生に言われたんですよ。『行きたいんやったら推薦してあげるで』って。そこでもし先生がやめとけ言うんやったら僕はやめとこうと思ってたんですよ、正直学力よくなかったんで。

『それやったら行ってみるわ』ということで京都にある日産の専門学校受かったんです。

なるほど、そこで鈑金に触れたんでしょうか?

そうですね。最初はとりあえず整備の方に2年間行って。その時は整備士になろうと思ってたんですよ。2年間で国家二級自動車整備士とって卒業して。それから車体整備専攻科(現在の自動車整備・ボディリペア科)といって鈑金の方にもう1年いったんですよ。

最初に体験入学、体験実習みたいなのがあって。内容がなんでもいいからなんか塗れるっていうので、僕はヘルメット持って行って。で塗って。

その時に教えてもらった先生に「お前うまいなあ!」って言われて。それでこれ、おもしろいなっていう、これまでとなんか違う快感があって。

こんな面白いことがあるんやったらもう1年いきたいなというのが鈑金との出会いですね。

ほんと最初は自動車整備の方にいくと自分でも思ってたんですけど、さすがに鈑金覚えとって整備はなあと思えてきて。なので当時大手といえるような丹波市内の会社が一社しかなくて、そこに推薦してもらって帰ってきたって感じですね。

就職されてからその後、独立してやろうと思ったきっかけは何だったんでしょう?

働いてた会社は分業制やって、塗装と鈑金が分かれてたんですよ。最初は言われるがままに鈑金をしますということで始まって。

その会社には5年おらせてもらったんですけど、途中の3年目ぐらいに上司から『お前は覚えるスピードが速いからもう教えることがない』といわれたんですよ。

で、そうなってくると塗装もしたいと思い始めて社長にお願いしてみたんですけど、『うちは分業制の仕組みでやってるから無理や、変えられへん』と言われたんですね。それでどうしようかなと。

もしそこで塗装に変われてたら、僕は独立してなかったと思いますね。

じゃあ、これ以上の技術を身に着けたいと考えるなら、もうこの会社にいても意味ないなと思うようになって、辞める事になりました。

自己研鑽の気持ちが勝ったんですね。

そんな時にちょうどいいタイミングで、知り合いの人が市内の会社勤めから独立して市外で塗装屋始めるという話をもらって。

そこには鈑金で呼ばれたんですけど塗装したいんやったらやってみたら?と言ってくれたのでそれから塗装を覚えはじめて。4年やらしてもらいましたね。

そこで仕事をするうちに、鈑金と塗装どっちも出来ることで直接お客さんの意見というか、言葉というか。雇われていたらない感情言うたらおかしいですけど、お客さんの想い。そういうのが聞きたいなと思うようになって。

接客は当然ちゃんとしてたんですよ。でもなかなか自分にプラスになるじゃないですけど、そういうのが見いだせなくて。それで、独立したいなあと思いはじめて。

会社の中身は良かったんですけどね。当時がむしゃらに働いてたんで、そんな無理しなくてもええかなと思うにもなってきて、とりあえずやりたいことやってみようと思って独立することにしたんです。

場所をここにしたのは何か理由があるんですか?

場所はね、最初今とは違うところだったんですけど、あそこは売る気はないというので賃貸でやってて、最初僕も1,000万円近く投資したんですけどその時点では買うっていう度胸がなかったんですね。毎月返済していかなあかんので。

2年契約で借りてたんですけど、契約満了あたりのタイミングで商工会に入ってる、知り合いのおっちゃんが『ええとこあるで!』と教えてくれて。じゃあ見に行きますわというのが今のこの物件やったっていう。

『なんぼでもええぞ』と言ってくれたので、そのままの勢いで買いましたね。

丹波市は割と自動車屋さんが多い印象ですが、その中で独立するってなかなか勇気いりませんでしたか?

う~ん、そうですね、勇気もいりましたね。でもその時、嫁さんが『独立してみたいんやったら、やってみたらええんちゃう』ってポロっと言うてくれて。

いい奥さんだ。後押しをもらったんですね。

どうせ返すの僕なんで(笑)

その辺わかっとったんですけど、子供も一人おって、お互いやっぱこれから頑張って行かんとあかんなって思いがあって。なので、きっかけっていうのは嫁さんがきっかけですかね。

ちなみに親からはやめとけって言われたんですよ。僕、結構人見知りやって。『そんなんでお前商売ならへんぞ』って言われて。それがめっちゃ不安でしたね。

人見知りな感じが全くしませんけど?(笑)

それを言われて、それまでそんな、接客もしとったんで人見知りなんてそんな思う事はなかったんです。だいぶマシになったんですよ。丹波市の商工会とか入って。

こんな時にどうしようかなって迷ってましたけど、嫁さんからの一言でじゃあとりあえず二人で頑張ろかと。二人でやっとったら何とかなるんちゃうかということで。

嫁さんもそこまで深くは考えてなかったと思いますよ。若かったんで。でも、後押しがあって今があるんかなぁと思いますね。

立場が変わったからこそ得られた確かな手ごたえ~事業の指針~

いいですね。実際に独立してみてどうですか?

断然楽しいですね。色んな人との関わりも増えましたし。

先ほどの話で、雇われていた立場から事業主になって、お客さんとの関係性に何か変化ありますか?

そうですね。以前までの職場のお客さんもたまにうちに来てくれるんですよ。印象とかも『変わったなぁ』ってよく言われますし。

という事は、人に対する対応力っていうのが変わったから言われるんだと思うんですよ。

雇用されてた時はお客さんも一従業員として見てたとも思いますし、それが今は僕の会社で僕自身が直接話するから、話しやすくなってるとか、意見を言いやすくなってるとか、お客さん側にもプラスに感じてもらえる部分があるんじゃないかなと思いますね。

AUTOBODY若林として、仕事をしていく上で何か大事にしていることはありますか?

クレームを出さないこと。

やっぱり自分の首が締まっていくんで、ちょっとでもいい具合に納車できるよう、一手間二手間かけてというのを心がけてますね。

鈑金でもらうクレームといえば例えば、塗装してゴミが付いてる、クリアの肌が悪い、ミストが違うところに飛んでる、色が染まってないとか。世間的にはよく言われてる部類ですね。

そういうのって、自分の『これ位でやっといたらええやろ』という気持ちがそのままやっぱり出ると思うんですよね。マスキングでもそうですよ、それをもっと塗る場所ギリギリじゃなくて角までピッチリ貼るとか、プラスアルファしとこみたいな。ちょっとした配慮で補えると思うんでね。

細かい話なんですけど、それを今までやってきてるから、今までのところでは大きなクレームがないだけで。

もちろん、もしクレームがあったら、すぐやり直すとか、持って帰ってすぐやり直しますって言える環境があるんで、そこは問題ないですね。

あと、仕上がり。

やっぱり同業者はいっぱいおられますし、今ってネット社会で金額がすぐ調べられて、お客さんが相場の価格を知ってる状態で来るとなれば、もう何で勝負するんやってなると、価格、仕上がり、早さ。これくらいのもんですよね。

それを、やっぱり真っすぐに実現できるのは個人事業主やと思うんですよね僕は。大手になればなるほど、絶対と言っていいほど難しいので。

この辺はやってきた経験で感じますけど、人数がいればいるほどやっぱりお金も時間もかかりますし。お客さんから見た時に感じられてしまう“余計なコスト”なんかを省いて提供できる環境があると僕は思ってます。

そういったコストパフォーマンスは、丹波市で一番とは言い切れませんけど、仕上がりとか全般を見て判断していただけたらなと。

一人誰か雇うとなると、これからは家族経営から普通の会社になる感覚がありますね。新たに働く人にとって、大きな会社ではなく小さい所から始めることのメリットってどういう所にあるんでしょうね。

大きい所はまず、ほとんどが分業制なんですよ。手に入れる技術が偏ってしまうんですよね。

例えば車を凹まして修理してほしいという依頼があったら、そのお客さんは元通りになることを期待しますよね。それは、鈑金して、塗装することが必要なんですよね。

鈑金は、簡単に言えば凹みを直してあとは塗装するだけの状態にまで仕上げる作業が鈑金なんですけど、鈑金だけの職人がその先の作業にいこうと思ったら塗装まで全部できなあかんので。

それをうちみたいな個人でやってたら、全部やりたいから教えてほしいと言われたら全部教えられるんですよ。この辺は絶対に強みやと思います。

それは確かにそうですね。

これしかできないっていう人って、次への就職が難しいんですよね。間違いなく職人は職人なんですけどね。職人て言い方を変えると、“鈑金しかできない人”と、“塗装しかできない人”。

でも、実際働く会社によって、鈑金職人が下地終わってから塗装の領域のパテまでするところもあったりするんですよ。もし、前の会社でパテまでできないのに、新しい会社行ってパテから出来るかと言われればできないじゃないですか。

そうなってしまう人を、僕はつくりたくないんですよね、人材育成として。どっちもできるのが理想です。両方できる人同士が、分担するのはいいと思うんですけどね。

少なくとも、僕としては教える気持ちがあるので、技術を学びたい人からすればメリットじゃないですかね。

技術を1から10まで教え込んでいくって、技術の持ち逃げされたりとか不安もあったりしませんか?

だから、やっぱり大きなところは分業制にするんだと思いますよ。

でも、それを変えていくのも従業員ですよね、自分から意見を出していかないと。ただ、僕の場合は当時の自分の力では変えられへんと思っただけで。

もしあの時『やってみいや』って言われたとして、失敗してたら多分、今の僕はなかったんでしょうね。そんな先のことは誰にもわからへんことやと思うんですけど。

ただ、やる前から言うてもそんなん変わらへん、変えられへんっていうのは、もうそれ以上の先がないんで。うちで働くとしたら、基本的に教えられることは教えていこうと思いますね。

それで、自分で独立したいと言うようになったら、それはそうしたらいいと思うんですよ。やって失敗したらそれで自分の責任として受け止められますし。逆にモチベーションが上がるかもしれないし。

もし独立してあかんかったら戻ってきて「すいません、なめてました」って言う場合があっても僕はいいと思うんですよ。

独立するって簡単に軽く言う人は多いですけど、でも実際、それをポッと出来る人ってなかなかおらへんと思うんですよ。

小さい事業規模だからこその強みを活かした、信頼される町の鈑金塗装屋に

ちなみに今回採用しようと思っているのは、どういうポジションの人を採用したいと思っているんですか?

一番は経験者がいいですね。でも、今自動車関係の整備の方も人が少なくなってきて、若い子が育ってきてないと聞きますね。自動車鈑金も一緒なんですけど。

やっぱり車離れが進んできてて、厳しい側面もありますが、次を育てていきたい気持ちもあります。

僕が一人でやっていて、もし倒れた時にカバーする人がいないとなれば、事業を畳まないといけなくなるので。

それはそれで僕はやり切ったと思うんでいいかもしれないんですけど、それやったら、継いでもらいたいと思える人が育っていてくれる、そういった人と一緒に働いてる環境の方がいいなと思いますね。

では、出来るだけ長く働ける人がいいですね。

はい。経験年数は長い方がいいとは思うんですけど、ただ単に長ければ長いだけいいってもんでもないですよね。僕よりも優秀な年下の子もたくさん世の中には居ますし。

僕も対応力にはそれなりに自信がありますが、経験年数だけで物は言いたくないですね。

素人でも大丈夫ですか?

性格によりますね。“心から車が好き”とかいうのが最高です。車好きじゃない人って、よっぽどじゃないと続けられないと思うんですよね。

ゆくゆくは三人体制にしたいんですが、二人同時には絶対無理ですね。最初一人を僕がしっかり教えて、その人がある程度出来るようになったら、その人が次を育てれるような環境がいいですね。

で、僕が現場を抜けられるくらいに一人目が任せられるくらいになったら僕が営業にまわって、作業をふれるような関係性。で、その人が営業もしたいという話になれば僕が作業現場に入れるっていうような関係性を僕は持ちたいですね。

最後に、これからのAUTOBODY若林の将来的な構想があれば教えてください。

とりあえずの目先としては、年中無休でやっていきたいんですよね。スタッフを交代制にして。僕が居なくてもまわしていける環境はなるべく早く作っていきたいですね。

もっと信頼されるようにするには、僕個人に車を預けるという感覚から、お店に預けるという感覚になってもらう必要があるのかなと思っていて。

店をそんなに大きくしたいとかは思ってないんですが、どんなタイミングにお店来られても、仕上がりも金額も時間も変わらず提供できるような環境にしたいですね。

何を問いかけても即答で回答が返ってくる若林さん。若くして色んな経験をされてきたからこそ、地に足をつけた自分なりの答えをもっていらっしゃるんだろうなと思いました。丹波市内には自動車に関わる事業者が数多くありますが、確かな技術を身に着けたいと考える人にはうってつけの事業者ではないかなと感じました。若林さんの話に共感するポイントがあった人は是非、直接会ってお話してみてください。

※この記事は2021年5月12日に取材した情報をもとに作成いたしました。

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