柳瀬株式会社は、丹波市山南町を拠点に、研磨材・砥石の製造を主軸として事業を展開する企業です。工場での金属加工や溶接後の仕上げに欠かせない研磨材を製造し、丹波市とベトナム・ホーチミンの工場から、日本全国だけでなく海外にも製品を届けています。
創業から54年。織物業から研磨材製造へと事業を転換し、現在ではホームセンター向け商品に加えて、爪やすりや足の角質ケア用品といった美容雑貨の分野にも事業を拡げています。丹波の地に根ざしながら、海外展開や新たな事業にも挑戦を続ける、成長意欲あふれるものづくり企業です。
———————————————————————————
・研磨材製造を主軸に、グローバルに展開する企業
・柳瀬社長のこれまでのこと
・100億円企業を目指し、共に働く人を募集
———————————————————————————
今回は、代表取締役の柳瀬孝之さんにお話を伺ってきました。

柳瀬株式会社は、主に研磨材・砥石などを製造していまして、今年で創業54年目を迎えます。丹波市と、ベトナムのホーチミンに工場があり、その2カ所で製造して、日本全国へお届けしています。
主な商品は、工場で使用される研磨材です。たとえば、工場で溶接した後や、金属加工をした後に出る「バリ」と呼ばれる余分な部分を、きれいに仕上げるための商品になります。ホームセンターでも販売していて、コーナンやコメリなどの店舗でも取り扱っていただいています。
その「磨く」という繋がりから、2011年からは爪やすりや足の角質ケア用品といった美容雑貨の製造も手がけています。今では、日本全国の雑貨店やバラエティショップ、ドラッグストアなどで販売しています。
ですので、大きく分けると「工場向けの研磨材」「ホームセンター向けの商品」「美容雑貨・コスメ関係」の3つで事業を展開しています。本社に約80名在籍していて、営業部門は東京、群馬、名古屋、大阪、広島、九州などの営業所に分かれ、約20名体制で展開しています。

商品的なことで言うと、やはり「研磨」に特化していることです。お客様からすると、「研磨のことなら柳瀬に聞いてみよう」と思っていただける強みがあります。
もう一つは、商流をBtoBに絞っていることです。たとえば小売で直接個人のお客様に販売するのではなく、大手商社としっかりとした信頼関係を築き、そこから商品をお届けする形です。こうした販売体制があることで、経営基盤が安定しており、お取引先が成長すれば、弊社もともに成長していける点が大きな特長だと思います。
そうです。父が創業した当時は、織物の糸を紡ぎ直すような仕事をしていました。お隣の西脇市では繊維産業が盛んで、織機が「ガチャッ」と1回動けば「1万円儲かる」という意味で「ガチャマン」と呼ばれるほど、景気の良い時代でした。
ただ、時代が進むにつれて繊維業界を取り巻く環境も変化していきました。そこで「業種転換をしなければならない」と模索していたところ、あるメーカーさんから「こういう商品が今売れている。作ってみないか」と声をかけていただいたのが、研磨材を扱うきっかけですね。

実は繊維業と研磨には自然な関わりがあるんです。生地は「磨く」ことにも使われていまして、最後の仕上げではウエスで磨いたり、布を回転工具につけて磨いたりします。今でも「バフ」と呼ばれる研磨用の布製品を作っているメーカーがあります。そういう意味では、織物は研磨の分野とも繋がりがあったんです。
基本的にはルートセールスです。商品のやり取りは代理店と行うので、実際の取引の流れとしては代理店を通じて進みます。ただ、最終的にはユーザー様に気に入っていただくことが何よりも大切ですから、現場のユーザー様に向けた営業活動もしています。
ホームセンターやモノタロウのような流通系への営業については、本社にいる2人の担当営業が工場関連以外の全国ルートを受け持っています。

そうですね。研磨材と言われてもイメージが湧かない方が多いと思います。工場向けの商品は、まさに縁の下の力持ちのような存在で、私はよく「お弁当の漬物みたいな商品」と言っています。お弁当を買うときに、漬物が決め手になることはあまりないかもしれません。
でも、メインではないけれど必ず必要なものです。研磨材も同じで、ものづくりには欠かせない存在で、長く変わらず売れ続けている商品が多いです。
シェアは高い方だと思います。弊社の売上はだいたい20億円くらいで、国内で同等の規模を誇る会社は1社だけです。あとは売上5億円前後の会社が2、3社ある程度です。海外製品などもあるので一概には言いにくいですが、全体の20〜30%はあるのではないかと思います。

材料の仕入れという面では、丹波市に拠点を置くことの立地的なメリットはありません。ただ、おかげさまで人材という面では恵まれていると思います。もし弊社が大阪などの都市部にあったら、今のような組織づくりは難しかったかもしれません。丹波という地域だからこそ、長く勤めてくれる人が多いですし、その面で大きなメリットになっています。
都市部は人口が多いですが企業数も多いので、多くの会社が人材確保には苦労されています。弊社は高校卒業後に入社してくれる社員が本当に多く、20年以上勤務し続けてくれている社員もいます。今は産休を取得している社員もおりますし、ライフステージが変わっても長く働き続けてくれる人がたくさんいます。
そうですね。思い返すといろいろなドラマがありました。コスメ事業は、東京の展示会に出展している最中、東日本大震災に巻き込まれるところから始まりました。その前には、タイでの展示会に参加した際、現地の情勢不安によってバンコクのスワンナプーム空港が閉鎖されるという事態に直面したこともありました。

妻からは、「あなたが行くところでは何かが起こる」と言われています(笑)
熊本地震の時も、たまたま福岡にいて、ホテルが揺れたことがありました。
正直に申し上げますと、当初は違うスタンスでした。私が会社に戻ってきた2001年までは、商流がバラバラでした。「商習慣をきっちりしないと信用がつかない」と考え、中にはお取引を見直させていただかなければならないお客様も出てきましたが、商習慣を一つひとつ整えていき、今の形になりました。

そうです。生まれ育ちも山南町で、地元の山南中学校、柏原高校へと進学しました。ちなみに父も柏原高校の出身ですし、私の子ども3人も同じく柏原高校へ通いました。2年ほど前には柏原高校のPTA会長も務めさせていただきました。
大阪学院大学です。私は1974年生まれで、いわゆる第二次ベビーブームの世代でした。当時は進学も倍率が厳しく、大変な時代でした。友人7人くらいで一緒に試験を受けに行ったのですが、そこに受かったのは私だけでした。
大学卒業後は、今現在も弊社の重要な取引先であるトラスコ中山に入社しました。九州と神戸の営業所に配属されて7年半ほど勤めました。

2001年に柳瀬へ入社したのですが、最初は「関東でのシェアを広げる必要がある」と感じ、まずは東京営業所へ赴任しました。関東には約3年いて、工場ルートの開拓やホームセンタールートの開拓などを行いました。
その後、丹波市の本社に戻ってきて、企画部という立場で商品企画や、それを営業へ落とし込む仕事に携わりました。その後、常務を経て、2012年、私が40歳の時に社長に就任しました。
会長である父は、今でも非常に元気な人で、当時は「このままでは代替わりの時期を逃してしまう」と思っていました。そこで、私が40歳になった節目に、『そろそろバトンを渡してほしい』とお願いしました。父としては現役で会社をひっぱりたい考えもあったと思いますが、私の決意を了解してもらって社長になりました。
会長自身は24歳頃から独立して、自分の力で会社を築きあげた人です。私も40歳を迎えて、「いつまでも父に任せきりというわけにはいかないな」と思っていました。いきなり社長交代すると分からないことも多くて大変ですから、会長が元気なうちに交代できたのはよかったと思います。

大学まではあまり考えていませんでした。ただ、いざ就職活動を迎えた時に「この先どうしようか」と悩みました。そこで「もし将来、家業を継ぐ可能性があるなら、役に立つ会社に入った方がいい」と思い、トラスコ中山に入りました。結果的にそこで学んだことが役に立ったので、良かったと思っています。
正直なところ、自分は何かが特別に秀でているタイプではありませんでした。「そんな自分に何ができるか」と考えた時に、「家業を継ぐしかないのかもな」という感覚もありました。
それはありませんでした。ただ、トラスコ中山に入った時点で、周囲も自然と「いずれそうなるだろう」とは感じていたと思います。

英語はほとんど話せませんが、現場でやり取りを重ねていると、相手の言っていることは何となく分かります。今でもベトナム工場へは私一人で行って帰ってきますし、先週は韓国へ行っていましたが、特に困りません。
「慣れ」ですね。6月は台湾とベトナムへ行く予定です。ベトナムは少し長めで、10日間ほど滞在することになると思いますが、本当に慣れが大きいです。空港での移動も、もはや「どれだけ早く移動できるか、最短で動けるか」という感覚になっています(笑)
言葉については、独自のコツがありまして、語尾に「な」を付けると、だいたい通じます。「これはカメラな」「携帯な」「OKな」という感じです。アジアでもヨーロッパでも、何となく相手は私の言っていることを分かってくれます。悪いことを言っていないと感じてもらえれば大丈夫です。「乾杯な」「おいしいな」などでもだいたい伝わります(笑)

そうですかね(笑)
おそらく将来的には、そういう話も出てくると思います。ただ、「継ぎたい」と言ったからといって簡単に入れるつもりはありません。ボンクラな社長の下では社員が苦労します。まずはどこかへ就職して、まともな社会人としてしっかり成長すれば入れてあげるという考えです。

やはり私自身が就職した頃からだと思います。トラスコ中山は弊社の取引先でもあるので、周囲からは「柳瀬の息子だ」という目で見られます。そこで恥ずかしい成績を残したり、すぐ挫折したりするわけにはいきません。しっかりと期待に応えないといけないという意識はずっとありました。
家業に戻ってからも同じです。「社長なのに何もしていない、ボンクラだ」と思われないようにしなければならない、というプレッシャーはずっとありました。うちの子どもたちにもそういう意識が多少なりともあると思います。
当初は海外にこれといった繋がりはなかったので、まずは展示会への出展が開拓の始まりです。「誰か来てくれないか、自社の製品に興味を持ってくれる人と出会えないか」と手探りでアピールしていくような状態です。自ら動かないと売れませんから。
ベトナムに出展していた時に、工業団地の営業担当の方が来られて、「ここに工場を出しませんか」とご提案いただきました。その時、直感的に良いご縁を感じて、今のベトナム工場の設立に繋がりました。結果的に、その判断は良い方向にうまくいっています。

それはそうです。ただ、距離感は昔と違います。かつては丹波から出ること自体が少なかったかもしれませんが、今は大阪や神戸からすぐに行けます。韓国なら2時間ですから、国内移動するよりも近い場合すらあります。
この先、もっと身軽に動く時代になると思います。ヨーロッパでは国境という感覚も薄く、電車を乗り過ごしたらオランダへ行っていた、ということもあります。それももう、慣れですね。
弊社は「10年後に100億円を目指そう」と宣言しています。現在は、柳瀬、ヤナセベトナム、そして関連会社である香川県の橋本特殊工業の3社を合わせて25億円ほどです。それを4倍にしなければなりません。
柳瀬では、オーストリア製のロボット用エンドエフェクター(ロボットアームの先端に取り付ける装置)の日本代理店をしていて、それを使った研磨作業の自動化を提案しています。この事業を近い将来に10億円規模にしたい。また、コスメも10億円規模を目指していて、自社ブランドだけにこだわらず、韓国コスメなどいろいろなものを商社的に扱っていくことも考えています。
今、特に力を入れているのは海外への販売です。これまでは日本から海外へ輸出することが中心でしたが、今後はヤナセベトナムから、インドネシア、マレーシア、タイなどへ販路を広げていきたいと考えています。今現在の売上は2億円くらいなので、そこを倍増させることができれば可能性はあると思います。6月末には現地の展示会を控えており、1週間ほど行く予定です。

ちなみに弊社は女性社員が多く活躍している会社です。たとえば女性課長も数名在籍しています。長く勤めてくれている女性社員も役職に就いてもらい、若い社員たちの良い見本になってもらっています。また、完全週休二日制で年間休日は123日と、働きやすい環境づくりを心がけています。
事務スタッフは女性が約9割ですが、そこから「製造の仕事に挑戦したい」と手を挙げてくれる女性もいます。若手にも女性が多いですし、物流・出荷部門も女性社員が中心となって会社を支えてくれています。
全体では、男性が約3割、女性が約7割です。ちなみに社員の平均年齢は40歳前後ですので、一般的に見ても比較的若い世代が多い職場だと思います。

あります。社員のみんなに健康でいてもらうために、健康経営にも力を入れており、その取組みが評価され、「健康経営優良法人」に毎年認定されています。住友生命と連携した取組みとして、歩いた歩数に応じてポイントがたまり、景品と交換できるような仕組みも導入しています。
まずは丹波市に根付いて、腰を据えてしっかり働いてくれる方に来ていただきたいです。一方で、海外で挑戦したいという人がいれば、ヤナセベトナムの製造や営業の仕事もありますし、ソウルへ出張で行くこともあります。そういうチャンスを提供していくことができます。何事にもフットワーク軽く、さっと動いてくれる方がいれば嬉しいですね。

柳瀬で働く皆さんの成長が、そのまま会社の成長に繋がります。一人ひとりが成長するための環境は今後も柔軟に整えていきますし、本人が望めば色んなカタチで挑戦の機会を提供していきます。
いい会社にしていけるよう、「柳瀬で働けてよかった」と感じられるよう、一緒に実現していきましょう。