株式会社デンテックスは、丹波市柏原町に本社を置く、電気通信の総合設備会社です。1945年の創業以来、テレビ共聴事業を原点に、防災行政無線や光通信、電気・空調設備、太陽光発電、OA機器・ネットワーク関連まで、時代の変化に合わせて事業を広げてこられました。
公共施設や企業のインフラ工事から、一般家庭の電気に関するお困りごとを解決する工事まで、地域の暮らしと産業を幅広く支えています。通信分野やネットワーク関連まで対応できる技術力を強みに、私たちの安心で便利な毎日を支えている企業です。
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・OA機器やネットワーク関連も触れる、電気通信の総合設備業
・デンテックスと社長の歴史
・社員の家族や友達から「この会社いいよ」と言ってもらえる会社を目指す
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今回は、代表取締役社長の岸田好史さんにお話を伺ってきました。

大きな柱としては、「電気・空調」、「通信」、「ITソリューション」の3つです。今は、「電気」と「通信」の2部門が主軸ですね。
電気部門は、LED照明などの一般的な電気工事から、エアコン、太陽光発電、蓄電池、EV充電設備の工事まで幅広く手がけています。お客様は、公共の入札案件から法人企業、建設会社からのご依頼に加えて、一般のご家庭の細かな工事まで、丹波市を中心に幅広く対応しています。
通信部門では、主に防災行政無線の工事を手がけています。防災行政無線工事は丹波市だけではなく、南あわじ市やたつの市、大阪府の泉南市など近畿一円で、大手メーカーの一次下請けとして施工を行い、一部はメンテナンスも直接対応しています。
それから、当社の創業にも関わる事業でもあるテレビ共聴施設の工事も行っています。地域のテレビ組合からのご依頼のほか、NHK関連施設の保守メンテナンスや施工にも携わっています。

通信分野ではほかにもいろいろな工事があります。例えば、NEXCO西日本が管理する中国自動車道の制御盤工事、警察の道路カメラの設置工事、コンビニのレジ前にあるモニターの工事などもあります。近畿一円にとどまらず、もう少し広い範囲で、公共インフラに関わる工事を行っています。
いわゆるOA機器の販売やコピー機に関する事業です。法人企業向けのものだけでなく、電子黒板なども扱っているので、学校に導入される入札案件もあります。そのほか、自社で太陽光発電設備も保有しており、発電事業も手がけています。

私たちは自社のことを「電気通信の総合設備業」と表現し、加えて「OA機器からネットワーク関連も手がける会社」とお伝えしています。ただ、一般の方にはなかなかピンと来にくいところはありますね。
そうした背景もあって、当時はフランチャイズブランド「住まいのおたすけ隊」を導入し、一般家庭向けサービスを展開しました。現在は、一般家庭向けの電気設備・空調設備・住宅設備に関するお困りごとにも幅広く対応しています。
当社は法人のお客様とのお取引が中心の会社というイメージが強く、一般の方から見ると「何の会社かよく分からない」という側面は以前からありました。そこでもっと地域の皆さまに知っていただきたいという思いから始めました。
もともと1945年の創業時は、テレビ共聴と家電卸の会社としてスタートしました。その歴史もあって、今でもご年配の方には「テレビ共聴の会社」というイメージが強いと思います。

売上規模でいうと、法人・公共のお客様が約8割、個人のお客様が約2割です。ただ逆に、顧客数で見ると個人のお客様が約8割を占めています。防災無線などは1件あたりの金額が大きいので、売上では法人・公共の比率が大きくなります。一方で、個人のお客様は年間で600〜700件ほどご依頼をいただいています。
個人のお客様は、地元紙の丹波新聞様や地域ラジオのFM805たんば様、チラシなどをきっかけに問い合わせてくださった方が多いです。この個人向け事業のおかげで、最近は「一般家庭向けの電気設備サービスを提供する会社」として認識していただける方も増えてきました。

そうなんです。地域に根差した町の電気屋さんが少なくなってきたという背景があります。水道のお困りごとには、テレビCMでよく見かける会社などがありますが、電気に関しては対応してくれる先が案外ありません。そうしたニーズにお応えしようと始めたところ、かなりの数のご依頼をいただくようになってきました。
まず、電気工事の会社が100社あるとしたら、空調工事の会社が10社、通信事業の会社は1社という感覚です。通信事業をやっている会社がほとんどない上に、ネットワーク分野まで対応できる会社は、なかなかありません。それが大きな強みの一つです。
もう一つはやはり、大手メーカーの一次下請けとして任せていただいていることです。何十年にもわたって取引を続けてきた実績があるので、この一次下請けの立ち位置は、他社がなかなか割って入れるものではありません。
また、丹波市は物流の拠点になりやすい場所でもあります。北へ行くのも、京阪神エリアへ行くのも、比較的動きやすいんです。10数年前は通える範囲で工事をしていましたが、だんだんとご依頼をいただく範囲が広がり、今はかなり離れた場所まで対応できるようになりました。

そうです。2年前は栃木県まで出向いたこともあります。今も中国自動車道関連の仕事で、広島や岡山、鳥取などへ行っています。ただ、下請けの仕事は変動も大きいため、電気設備や空調設備で自社が元請けとして地元を中心に行う事業と、広域で請け負う事業のバランスを大切にしています。
私で3代目になります。戦時中に大阪で教師をしていた祖父が、終戦後に教育のあり方が180度変わったこともあり、「もう教師はできない」ということで地元に帰ってきました。
祖父はもともと電気関係が得意だったので、当時のご家庭のコンセントの電圧調整や、ラジオの修理などを手がけたのが始まりです。戦後間もない頃は100Vと言っても実際には60V、70V程度しか届いていなかったらしく、そうした電気にまつわる困りごとに応える形で商売を始めたのが、当社の原点です。
その後、テレビが普及し始めて、家電の卸としてテレビを売ろうとしましたが、当時はそもそも電波が届かないのでテレビが映らなかったんです。そこでまず、テレビを映せるようにするところから始めました。
山の上にコンクリートの柱を持ち上げ、そこにアンテナを設置して、そこからケーブルを下ろして集落ごとにテレビを映せるようにする。それがテレビ共聴事業です。この事業と、テレビなどの家電製品を地元の電気屋に卸す事業の二本柱で始まりました。

そうです。社名も現在はデンテックスですが、その前は「電松堂」という屋号で、氷上町成松にありました。「岸田テレビ共聴機製作所」として、テレビ共聴の機械をつくるメーカーとしても事業を展開していました。
社屋は大きく4回変わりました。最初は映画館の「恵比寿シネマ」がある通り沿いにあり、その後、居酒屋の「とりあえず」がある辺りで自宅と会社を兼ねていました。さらにそこから、別の場所を経て、その後、現在の柏原町南多田に移ってきました。
1980年ごろですね。2代目である父が社長に就任した頃です。当時は成松界隈がメインの場所でしたが、「うちのような会社は、場所を選ばずにできる仕事だから、スーパーにする方が地域のためにもなる」ということになりました。それで、別会社にはなりますがその土地にはスーパーができました。
当時は今のような大型スーパーもなく、街中に小さな商店があったぐらいです。地元・成松の靴屋さんや服屋さんなどにもテナントとして入ってもらって、まとまった買い物ができるスーパーをつくることになりました。そのタイミングで、会社は今の場所に移りました。そして、私が3代目として社長になったのは、2012年6月ごろです。

そうです。長男として生まれ育ち、地元の中央小学校を卒業した後、中学・高校は三田市にある三田学園に通いました。その後、甲南大学へ進学し、卒業後は大手スーパーに就職して2年ほど勤めました。
当時、丹波から中学受験をする人はまだそれほど多くありませんでした。私も「受けてみないか」と勧められ、試しに挑戦したところ合格することができました。「せっかく受かったなら行ってみようか」という気持ちで進学を決めました。当時は男子校だったので、中学3年間は寮生活を送りました。
その通りです。大手スーパーで勤めた後、ケーブルテレビの機械をつくる「ミハル通信」という会社に勤めました。そして29歳の時、阪神・淡路大震災が起きた年に丹波へ帰ってきました。

小さい頃から自宅と会社が同じ敷地の中にありましたので、なんとなくは意識はしていました。ただ、年齢を重ねるにつれて、頭の片隅に意識はありつつも、正直なところ「もっと外の世界を見てみたい」と思いながら地元を離れましたね。
特には言われてなかったです。ただ、29歳の時、会社が福井県小浜市全域のケーブルテレビ工事に関わることになったのですが、それを担える人がいなかったんです。そこで「帰ってこい」という話になりました。
私自身はまだ戻るつもりがなかったので、父とも話を重ねましたが、最終的には当時の専務と部長が説得に来てくださって、帰ることを決めました。

そうですね。いずれ家業に戻るのであれば、外の世界でしっかりと経験を積んで、ある程度の立場も築いたうえで、「錦を飾って帰りたい」という思いはありました。ただ、それは結果的に叶わずでしたね。
青春時代の多くを三田で過ごしていましたので、感慨深いというより新鮮な気持ちでした。正直に言うと、丹波のことは全く分からないという感じでした。どちらかといえば同世代の知り合いもあまりいませんでした。
ただ、帰ってきたら、消防のヘルメットと法被が置いてありました(笑)
商売をしているのでJC(青年会議所)にもすぐ入ったんですが、それで地元での人脈ができていった感じです。

通信部門が前職で経験してきた分野だったので、当時多かったケーブルテレビ工事で、現場代理人のような仕事をずっと担当していました。ケーブルテレビの仕事が一段落してくると、今度は防災無線の工事などをやるようになりました。
アナログだったものが次々とデジタルに変わっていったことも大きかったです。テレビも防災無線もデジタル化が進み、多忙を極めた時期もありました。太陽光発電も、出始めの頃は国の補助金が出たこともあり、地域の空き地や山林に設置されるようになり、すごく忙しかったですね。そうした時代の変化を、インフラ整備を裏から支えてきたというところです。

電気と通信の二本柱は、大きな括りとしては一つの領域ですが、時代と共に会社の中で手がけている事業は主軸が変わってきています。既存事業を堅実に行いつつ、これから新たに出てくる分野でもスペシャリストになっていきたいです。
例えば、2027年末に向けた照明のLEDへの完全切り替えもありますし、通信やネットワークの分野でも、学校の校内LANやWi-Fiの設備工事などがあります。最近でも丹波市・丹波篠山市・三田市などで、下請けとして学校の設備工事を行いました。これからも時代に合わせて柔軟に対応していきたいと考えています。

役員を除いて28人の社員がおり、そのうち6割が丹波市在住です。年齢層は下は18歳から上は67歳までと幅広く、平均年齢は43.7歳です。30歳以下の若手社員が7人在籍しています。
7、8年前から高校の新卒採用に力を入れておりまして、丹波市主催の合同企業説明会に参加したり、学校を直接訪問したり、インターンシップを受けたり、実際に会社を見てもらったりして、入社してくれています。
今在籍している若い社員は、基本的に高校からの新卒です。ただ、会社全体で見ると中途採用の社員の方が多いですね。中途採用の方については、この業界の経験者と未経験者が半々ぐらいの割合で活躍してくれています。

現場代理人として現場をまとめる仕事も多いので、コミュニケーション力は大事です。あとは、常に新しい技術や知識に触れることが多いので、学校にいる頃よりも勉強することが多いかもしれません。そういうことを楽しめる方に来ていただきたいです。
同じことがほとんどない仕事だと思います。若い方で長く勤めてもらえるのはもちろんうれしいですが、先日も60歳の方を採用しました。ベテランにはベテランの若い人には若い人の役割があります。当社に合う方であれば、年齢は問いません。
設備工事業は、人の手によって成り立つ仕事です。そのため、その人の能力で仕上がりが大きく変わります。だからこそ、人への投資を大切にしていて、学ぶ機会を作ることや資格取得を後押しすることに力を入れています。
目指しているのは、社員のご家族や友達から「この会社いいよ」と言ってもらえる会社にすることです。

10年以上前から、年に1回「向上ミーティング」と呼んでいる会を開いています。社員全員が集まって、「会社にこういうものがあったらいいね」「ここをもう少し改善したい」など、テーマに沿って自由に話してもらう場です。そこで出た意見をもとに職場環境を改善していく取組みを続けています。
その点、デンテックスは割と「ものが言える会社」だと思います。時間をかけて少しずつ風土を作ってきたので、10年以上いる社員は、「会社が変わったな」「働きやすくなったな」と実感してくれていると思います。
自由です。少し緩すぎるかもしれません。ただ、その分、仕事はきついです。現場に出る仕事なので、細かく管理するのは現実的ではありません。だからこそ、全てを管理しようとするよりは、なるべくストレスをなくして、現場に集中してもらう環境を作る方がいいのではないかと思っています。

最初に、あえて仕事の大変な部分も率直にお伝えするようにしています。残業や出張のことなど、一見聞きにくいことでも、入社後にお互いすれ違いが生まれないよう、遠慮せず何でも聞いてもらいたいです。
会社の雰囲気や中身には自信があります。まずは一度、見に来てもらいたいです。未経験でも、会社見学はいつでも受け付けています。実際に体験してもらって、気に入ってもらえたら、ぜひ一緒に働けるとうれしいです。